科学について、雑感

先般、サイエンスアゴラと言うイベントがあったので覗いてきた。
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最近ポスドク問題対策にとお国が力を入れているサイエンスコミュニケーションと言う活動に関するイベント。社会と科学の関わりについて、的なワークショップが一杯詰まってましたが、時間割が重なり合って、聞きたい話を聞いて回るのが難しかった。それと、中々面白かったけど、やはり内輪の集まりだなぁと感じました。見知った顔が沢山。名刺交換の風景。一般客って、実際どれだけいたのかな。

で、まぁそれに関連して下記のような記事を見かけたのです。
http://blog.so-net.ne.jp/kagaku/2006-11-24
直リンクを貼らない卑怯さは勘弁して下さい。忙しくて構えないブログが炎上したら困るので。
自分はこの人が普段どういう主張をしている人なのか知りません。だから、この文章だけからの心象でしかない事をご了解下さい。その上で、且つかなりの暴言を吐く事をどうかご容赦下さい。

のっけから「決着がついた話だが」と始まる。潔くないなぁ、ホントは決着ついたなんて思ってなくて、未練たらたらの怒り心頭なんだろ? 「自然科学系のひとはもうヒステリックに攻撃して来る」と書いておいでのご自分の言葉がどれだけヒステリックかなんて客観的に見る事も出来ない程にさ。
んで、「『科学の原罪性』について、やはり私たちはもっと真摯に考えるべきなのだ」と来る。
「考えているよと言うならもっと真摯に」と言うこの方の口振りは、要するに「俺様が言ってるのと全く同じレベルまで科学の原罪性を認めない限り納得行かない」と言う強烈な思想のお仕着せだ、と思う。

原罪性、ねぇ。確かに科学は、例えば様々な兵器を生み出し、戦争をより大規模なものにし、自然を蝕んで来た。別に科学は燦然と輝く清浄なる真理だ等と言うつもりは無いさ。
けどさ、それ、「科学の」原罪性なのか??
人間様は闘争心と欲望の固まりだから、どんなものでも、そこにあるものを戦う道具に、自分の欲求を満たす道具にしたいと思っている。それは科学や技術に限らない。吹き矢に毒を塗って縄張り争いをしていた時代から、また、それすら科学だと言うなら、歴史に鑑みて政治で辣腕を振るう事だってそうだ。

逆に、科学によって得られた恩恵は山とある。医療、農業、交通…。これはアレだ、どっかの誰かが言ってたけど、「科学による恩恵はすぐに当たり前になるが、科学がちょっとでも絡むネガティブな出来事は印象に残り続ける」と言う最たる例だと思うんだが。あぁまぁ、科学に限らないよな、これも。
ヒトはこの世に存在するありとあらゆる生物の中で最も欲深く、足るを知らない、不要な闘争心を振りかざす種です。そのヒトが扱うからこの世の様々なものは原罪性を帯びるのじゃないか。

科学に限らずヒトに用いられるもの、参照されるものは大抵がニュートラルな存在だ、と自分は信じて止みません。確かに、ヒトが用いる限り、この世に罪の無い清浄なものなど存在しない。須らく罪を背負うとも言える。ヒトの原罪性を他の何かに擦り付けないで欲しい。

また、「人文社会学系には表現の仕方はいろいろあるがその認識があると思われるから」とまで書いて、自然科学系だけに絡んでおいでなんだよな。この文章見た瞬間、酒井冬雪さんを思い出してしまった。
http://journal.mycom.co.jp/column/rikei/
彼女の文章好きなんですけどね、非常に参考になるから。「女の子は色々言っても反省しているのが見て取れるけど、男の人はそれが全く無い」って言うような話があったんですよ。それと構文が全く一緒。いや、だからどうと言わないけどさ。

理系っぽく言わせて頂けば、原罪性とかそう言う議論以前にまずは理解が必要なんですよ。理解出来てもいないのに議論できる訳??悪用可能な事も含めて、科学的思考と科学から得られるものについての、理解がなきゃ、同じ土俵に上がれないじゃんよ。逆に、科学ばかりに傾倒してる連中も、一般社会の興味なんかに耳を傾けなきゃいけない。それが科学コミュニケーションだと思う。
大体、理解出来ていないから世の似非科学に騙される不幸な人々が出てくるんじゃないか。マイナスイオン然り、アガリクス然り、環境ホルモン然り。(まぁこれがまた信じて振り回される方が幸せな人々もいる、って辺りがややこしいが)

あ、でも、科学コミュニケーションって言葉の裏に如何わしい政治や金が渦巻いているって認識は同意だな。後、お国が「清浄で素晴らしい科学」を謳おうとしているってのも。それは非常に面白くないが、それでも、この分野ってのは、清濁併せ呑んででも手を出していかなきゃならない事だと、信じている。