科学とエンタテインメントと前提と

毎週購読しているSciComニュースという、科学系のニュースを扱ったメルマガ。まぁ購読しているとは言っても、情報量が多過ぎて(まぐまぐの文字数制限一杯?のメールが毎度3通届く)、中々まともには見られないのですが、今回のEditorialでマガジンのMMRが取り上げられていました。

http://archive.mag2.com/0000116394/index.html
歴史あるトンデモニューサイエンス漫画として名高いMMRを「科学教育の面からどうなのか」と真面目に取り上げていてちょっと愉快だった。科学を愛するものとして、非科学的なものがまことしやかに流布されるのが不愉快な気持ちは理解できる。如何にも科学的な顔をしてトンデモを取り上げる似非科学が、社会を、市場をどれだけ蹂躙しているか、悲しい気持ちも理解できる。トンデモネタを完全に誤解無くエンターテイメントとして誰もが楽しめるために、科学を誰もが知恵として使えるために、科学コミュニケーションが重要であることには勿論同意する。
だが、「優れた科学書も出している出版社が予言なんて非科学的なものを取り上げるのは残念だ」とまで言っているが、それはどうなんだろう。予言は宗教の一種と分類している自分としては、ここまで断罪的な言い方をする思想は寧ろ危うい気がしてしまう。ああそうか、こんな時2chなら簡単だ。「ネタにマジレス カコワルイ」なのだ。
宗教とは文化だし、文化には非科学的なものが沢山あるが、それを漫画の題材として取り上げることは果たして不適切で残念だろうか。例えば神話とか童話とかは非科学的だけど、それは残念か。月で兎が餅ついてる、なんて怪しからんとか言うんだろうか。例えば死者への敬意を、社会規範を、科学で教えられるだろうか。科学は宇宙を支配する根源的な法則ではあるが、人間と言う複雑系が作る社会や文化をそれで説明できるとはちょっと思えない。ごくミクロな物理でさえ、曖昧さと確率の上に成り立っている。それが積み重なった物凄く複雑で物凄く分散した確率の中の1つが今の社会である訳で。科学的に説明できる物事の積み重ねで地球があり生物がいて、トンデモを含めた人間の社会があるんだろう。
そもそも、相手はMMRだ。小学生とか、小さい内こそ確かにアレを真に受けて面白かったり怖かったりしていたものだろうが、中高生以上にもなれば鼻で笑って超展開を斜めに楽しむ漫画として広く受け入れられ確固たる地位を築いているMMRに対して、今更、真剣に何を…と言うか。あれは飽くまで「何でもかんでもノストラダムス」→「な、なんだってー!?」というノリを楽しむものだということは、比較的大勢が共有している感覚じゃないだろうか。
折角購読しているメルマガでこのような事が書かれたのはとても残念だ。科学的でないものを徹底的に排除しなければならないというならナーバスになりすぎで狭量で危険な思想だし、似非科学に関するメッセージの導入として使ったというなら余りにもリサーチ不足、と言わざるを得ない。